雪崩式ブログ

雪崩式総裁・コマの日記です。

プロレス観戦中のツイッター実況について

 プロレス会場に居ながらにして携帯で実況文を書き、場合によっては写真も添えてウェブ上にアップする行為について、twitter上で色々と議論されているようです。
http://togetter.com/li/47029

 いちファンとして、何らかの理由で現地に行けなかったりする場合、ウェブ実況してくれる人(現地神とか言ったりもする)の存在は非常にありがたいし、やってる方もプロレスの魅力をもっと知ってもらいたいという気持ちがあるだろうし、もちろんそれによって動員数が上がったりすることもあると思います。先に挙げたまとめサイトでも概ねがそういう意見でした。

 で、ここからはいちプロレス関係者としての意見。トゥギャッターが長過ぎて全部目を通せてないですが、「プロレス会場はみんなで盛り上げるもの」という意見が全くといっていいほど無かったのに違和感を感じました。例え本人が楽しんでいたとしても、下向いて携帯ポチポチいじってたんじゃ一体感なんて生まれるわけがない。ましてや1000人も2000人も入る会場じゃないわけでしょう。せいぜい200〜300人程度の閉ざされた空間で、試合に集中せずに実況に専念する行為は、プロレスエンタテインメントへの参加拒否表明です。トゥギャッターで言われているような、「携帯に集中してたら楽しめないよ〜」なんて生温いもんじゃないです。極端な言い方をすれば「声出しサボってんじゃねー」です。

 …と、ここまで読んで違和感を覚えたあなたは正解。金出して観戦してるんです。撮影禁止を破るんならまだしも、クラシックコンサートじゃあるまいし、携帯をいじってるだけで選手にドヤされるってどういうことよ、と思うのが普通。ましてやこっちは良かれと思ってやってるんです。摩擦が起こって当然です。この問題が起こったときに僕が思い出したのは、いつだったかの石倉選手・泉州選手・カブキキッド選手とのトークイベントでカブキさんが言ったセリフです。

「悲しいかなプロレスはファンの批判を受け止められるほどの体力をもう持ってないんですよ」

 これは、「ファンはファンのくせにネットでプロレスを叩き過ぎ」という意見が出た時にカブキさんが漏らしたものです。僕はこれには反対で、叩かれれば注目度も増すし、それよりも怖いのはファンに叩かれすらしなくなったときだと思ってるんですが、現実はもしかしたら僕らプロレス村の住民が思ってるよりも深刻なのかもしれない。僕らが積極的に盛り上げていかなければ存続できないほど、求心力を失いつつあるジャンルなのかもしれない。そんな悲痛な叫びが、リング上からファンに向かって「実況はいいから試合見てろ!」と叫んだとされる松山勘十郎選手の姿勢からもひしひしと伝わってくる気がするのです。奇しくもどっちもカブキですな。

 で、ここで終わったら進展が無いので、僕なりに考えてみました。ツイッター禁止はファン層開拓にマイナスになるのでダメ。とは言え全試合をツイッター実況されても会場が盛り上がらない。となると、「積極的にツイッターを導入する試合」と「ツイッターを全面禁止する試合」とに分けるしかないと思います。某前衛的団体では既に、選手自身がツイッターを駆使する「ツイートマッチ」なるものが行われているそうですし。

 ツイート禁止するにしても、ストーリーと絡めりゃいいんですよ。「この試合をツイッター実況した者は呪われる」とか、偽の情報を流すように仕向けてそれを読んだ人のRTを面白がるとか。

 まぁ、包容力でしょうな。頭ごなしに禁止するよりも、取り込んで面白がっちゃうくらいの方が未来は明るい気がします。

ビジネスとしてのプロレス

 こないだ沖縄プロレスの某選手と電話で話したとき、「プロレスでいかに金を生んでいくか」という話題になりました(これはご本人もmixi日記で触れてるのですが友人限定公開でしたのでお名前は伏せます)。

 彼の考えは「お客さんに良いものを見せて、相応のお金をお客さんから頂戴することで団体が潤うというのが一番大事」というものです。これは興行のあり方としては基本中の基本であり、ファンの皆様にTシャツを買っていただくことで飯を食ってる僕としても大筋では同意です。

 なんやそれ。当たり前やがな。と思われるかもしれませんが、プロレスには(というか興行モノは大概そうなんですが)他にもお金を生む雛形がありまして、来られたお客さんから直接お金を頂く以外にも、スポンサーをリングに上げたりスポンサーの名前をリングのマットやふんどしやコーナーパッドに入れたりすることでスポンサーからお金や商品を得たり、試合を録画したものをDVD等に納めて売ったりして二次使用することで収益を生んだり、広い会場だと飲食店ブースをロビーなどに入れてそこから売り上げの一部を徴収したりすることもあります。メジャー団体になればTV局と組んで放映権料が発生することもありますし、「売り興行」といって興行権自体をまるまる買い取ってもらうことで客の入りに関わらず確実に現金を得るやり方もあります。

 今日、福岡の唐人町商店街というところでDDTが商店街プロレスを行いました。インターネット動画配信システム「USTREAM」(以下、UST)を用いて生中継をしていたので仕事の合間に観ていたんですが、これがビジネスモデルとして非常に興味深いものでした。

 商店街でプロレスをやりたい、というのを実現させるには、商店街サイドにこういうメリットがありますよーというプレゼンが必要になります。乱闘によってお客さんや店舗に被害が出るデメリットがあるわけですから、商店主たちを説得させる労力は並大抵ではなかったでしょうし、実際今回のケースでも3店舗が反対していたそうです。

 普通は「集客数アップ」とか「観光客誘致」とか、その辺に落ち着くと思います。実際に僕が知ってる限りでは、よくある無料興行の「お祭りプロレス」や「競輪場・競艇場プロレス」はそこが売りでした。

 ところが今回の唐人町のケースではそこから一歩踏み込んで、「各チームが5000円ずつ所持し、商店街内で購入したものであれば公認凶器として認める」というルールが採用されました。これによってプロレスが客寄せパンダになるだけではなく、試合の攻防によってそれぞれの店舗がクローズアップされる仕掛けを作りました。加えて「観客が商店街内で購入したものであればそれも公認凶器として認める」というルールを採用したことにより、観客の購買モチベーションも喚起しました。(実際にあの混乱の中で買った人がどれだけいるかには疑問が残りますが)

 面白いのはその後の反省会で、大社長が試合中に水羊羹を食べた和菓子屋の主人が「なんで水羊羹なんだ。うちはドラ焼きが売りなんだ」と怒ったというエピソードが出たことから、あれよあれよと言う間にその和菓子屋「黒田武士本舗」がクローズアップされまくり、最終的に「みんなでドラ焼きを買って明日の博多スターレーン大会を観にいこう」という結論にまで至りました。

 今回の商店街プロレス、本来は明日の興行のプロモーションとして行われたものらしいんです(だからDDTも無償で試合をしたみたいです)が、結果的にそれ以上の結果を残した。その場ではお金にならなくても、先に繋がるものは得た。唐人町商店街の皆さんも「次回も是非!」と歓迎ムードだったといいますし、今回のケースがあったから唐人町という街の名前を知ったプロレスファンは大勢いると思います。僕含め。

 で、冒頭の「プロレスビジネスの基本中の基本」の話に戻ります。試合を観たお客さんに試合内容で感動していただくことでお客さんから直接お金を頂戴する、というビジネスモデルは、プロレスラー目線だと思います。試合内容に自信があるから、そしてそれを観てもらいたいから言えることだと思います。その観点から言えば商店街プロレスのビジネスモデルは邪道です。第一、リングもマットも無いところでプロレスの持ち味が100%出せるわけがないですし、昔気質のファンからすれば茶番ととらえられてもおかしくはないと思います。

 ただ、プロレスというソフトの持つポテンシャルを、「客が払う入場料とグッズ代」という枠に納めてしまうのが、いちプロレスファンとして非常に惜しい。かといってスポンサーをつけるというシステムも、ファンの方向を向いていないと思います。いつだったかの某団体のビッグマッチでは、全試合にいちいちスポンサーが付いてたせいで毎回毎回スポンサーがリングに上がって目録渡したり花束渡したりでテンポ最悪で辟易しました。ファンも楽しんで、時には悪ノリしながら試合経過を見守り、それが結果的にお金に結びつく、という意味で、今回の商店街プロレスは非常に面白いモデルケースになったと思います。

 一つ懸念事項があるとすれば、プロモーションの為のワンマッチイベントだったからこそ今回のケースは成り立ったということです。そこを上っ面だけ真似てプロレスを招致しようとする商店街がもしあれば、やはりプロレス団体側のメリットというのも考えなければならないでしょう。商店街がお金を出してもいいでしょうし、行政も巻き込んで助成金を引っ張ってきてそれをギャランティに充てるやり方もあるかもしれません。ともあれ、もはやプロレスがかつてのプロレスの輝きを失ってしまった以上、別の部分で新しい輝きを生み出さなければいけないわけで、その礎の一つを垣間見た気がする一日でした。

 というわけで「以下、UST」と書きながらそれ以降全くUSTに触れなかったことはそっとしておいてくださいおしまい。

大雪崩式展2010リターンズ

 あれ?こないだやっと終わったのにまたやるの?つうわけで告知です。



 2010年6月、見る者全てに感動と戸惑いを与えつつも幕を閉じた「大雪崩式展2010」が、舌の根も乾かないうちに帰ってきた!場所は前回と同じく、アンヅシーン。
 この「同じ場所で一ヶ月も開けずに展示を行う」という行為、一見無謀にも見えるがその実、非常にパンクなアティテュードである。前回と全く同じことをやるのか。それとも全く違ったことをやるのか。それは誰にも分からないし、雪崩式本人にも分からない。決めてない。何も。前回出しきったから。何も思い浮かばない。カスカス。そこにあるのは絶望。というわけでこれを読んでる君は友だちとか親戚とかをお誘い合わせの上、Tシャツを買いまくろう。

 『大雪崩式展2010リターンズ』
  ○日時:7月19日(月)〜8月1日(日) 15日はお休みです
  ○会場:アンヅシーン
        大阪市西区新町1-2-6 大阪屋ニュー新町ビル3F


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  ○入場無料

大雪崩式展2010



 2001年くらいになんとなく立ち上がったプロレスTシャツブランド雪崩式は来年あたりでだいたい10周年!つー訳で今までの商品を蔵ざらえしたりアート的な展示したりします。6.2オンスの布でできた服を高値で売りつけるよ!

 『大雪崩式展2010 〜雪崩式10年の歩み〜』
  ○日時:6月14日(月)〜20日(日) 15日はお休みです
  ○会場:アンヅシーン
        大阪市西区新町1-2-6 大阪屋ニュー新町ビル3F


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  ○入場無料

twit2mixi の是非論

 まず最初に。僕がこれから書く文章の目的は、みんなが自由で楽しく活発にウェブ上のサービスを使ってお互いの理解を深めることを促進させたい、ということです。できるだけそこからブレないようにします。

 事の発端は一昨日、twitter上での僕のつぶやきに対して「twitterの内容をそのままmixiボイスに転送するのは、そもそもtwittermixiボイスは使われ方が違うから他のマイミクにウザがられる」という旨のコメントが付いたことにあります。

 説明しますと、僕は現在、twitterのつぶやきをそのままmixiボイスに転送する「twit2mixi」というサービスを利用しています。僕の普段考えてることをマイミクさんにも読んでもらいたい、そしてそこでリアクションがあれば交流もしたい、という思いからです。ただ、twittermixiボイスには色々と違いがあります。中でも一番大きいのは、「twitterは自分がフォローした人のつぶやきだけを見ることができるのに対し、mixiボイスはマイミクであれば強制的に目に入ってしまう」ということです。

 僕のつぶやきにコメントを残された方(仮にBさんとします)も、そのことに言及されてました。それに関しては僕も同じ意見です。mixitwitterを上っ面だけ真似たことによる弊害だと思います。願わくばmixiボイスにも、ボイスを読みたい人と読みたくない人を選べる機能がついてほしいと思いますし、多分将来的に実装されるんではないかと思ってます。でも現状は実装されてない。だからユーザー側が工夫していかなければいけない。そういう忠告の意味でBさんはコメントされたんだと思います。

 ちょっと話は逸れますが、twitterにはmixiボイスに無い独自のお作法があります。串刺し検索ができるように#を使ってタグ(ハッシュタグと言います)を付けるとか、特定の人にコメントする際には@の後に相手のIDを付けたものをコメントに書き加えるとか。これらは多分全て、twitter草創期からある機能ではありません。twitterを「より使いやすく、便利なものに」したいという願いからユーザーによる試行錯誤の末に自然発生し、淘汰されて残ったものです。それが今ではtwitterの公式な機能として実装されています。この過程は、コミュニティにおけるルール作りの理想型だと思います。そして今でも、ユーザーによる試行錯誤は続いています。例えば他人のコメントを引用して自分がつぶやきたいとき、RTを使うのか、QTを使うのか、viaを使うのか、それとも""で括るのか(ちなみにiPhonetwitterクライアントは""を採用しています)。これもいつかは淘汰されるでしょうし、RTに関しては最近、引用ではなくて転載・紹介という形ではありますが公式ルールとして実装されました。

 で、こういうtwitterでしか使われないお作法に則って書かれたつぶやきには共通点があります。それは「@を含んでいる」ということです。twitterのフォロワーでしか理解出来ないような、例えば他人のつぶやきに対するリプライであったり、他人への個人的なメッセージであったり。それら全ては@を含んでいます。そしてtwit2mixiには「@を含むつぶやきは転送しない」というフィルタリングの機能が実装されてます。僕はこの設定をかけることで最低限、mixiボイスのユーザーに配慮しているつもりでした。でも、それだけでは足りなかったようで、今回のBさんのコメントに繋がりました。

 Bさんの主張はこんな感じです。twitterでは当たり前とされている1日3つ以上のつぶやきはmixiボイスでは一般的ではないからウザがられるよ、私の378人のマイミクの平均ボイス数は1日2回程度で半数は毎日ボイスしないのに対して、twitterの223人のフォロワーは1日3回以上つぶやいてるよ、と。僕はこれに対して(サンプル数の少なさやサンプルを採る場所が一個人のフォロワーに限定していることの問題点はさておき)、それはあくまで統計でしかないし、ウザがられるというのも偏った主観でしかないでしょ、と応えました。それに対しBさんは、主観ではなく調査結果だ、それを主観だと言う方がよほど主観だ、と反論し、その辺で何となく収束しました。

 流れ上、議論が「主観であるかどうか」にフォーカスしてしまったんですが、問題の本質はそこにないと僕は思ってます。もちろん統計や調査も意味が無い。問題は、「ルール作りの基本理念はどこにあるか」ということと、「ルールは誰が決めるか」ということです。

 ここで前述のtwitterの話に戻ります。ルール作りはそのサービスを「より使いやすく、便利なものに」するためにあるべきである、と僕は考えます。例えばBさんはかつて、mixiのコミュにおいてお作法を分かってない人が多すぎる、と嘆いていました。初めましての挨拶は「初めましてトピック」にまとめる。質問したいときはそのコミュで定められてるルールに則ってトピックを立てる。過去に同じような質問がなされているかどうかを調べてから、適切な場所に書き込む。そういうお作法を無視した独善的な書き込みが多くて困る、と。これには僕も同意します。なぜならこれらのルールは全て、そのコミュを「より使いやすく、便利なものに」するために作られたものであり、それがコミュの管理人によって作られた以上はその場では守るべきだと思うからです。

 しかし今回の「twittermixiボイスに転送するのはやめた方がいいよ」という忠告はどうかというと、確かにそれをすることで僕のつぶやきが減って僕のマイミクのタイムラインが読みやすくはなるんでしょうけども、それはあくまでこの問題に対する一側面でしかなくて、根本的な解決にはなっていない。それがまかり通るのであれば例えば、「プロレスの話ばっかりでお前のつぶやきは面白くないから、もっとグルメの話とかも書け」という主張も通ります。統計の話を持ち出すのであれば、例えばBさんは比較的長文のつぶやきをいつもされるんですが、「俺のマイミクは平均○○文字のつぶやきであるのに対してBさんは○○文字であるからそれは読む人に負担を与えるからもと短くして」と言うことだってできてしまいます。どちらも、ルール作りの「より使いやすく、便利なものに」という基本から外れるものであって、行きすぎるとそれはファシズムになります。

 僕が一番懸念している部分はそこです。こういった考え(仮に「自治ファシズム」と呼びます)が生み出すものは何か。それは、「mixi疲れ」であり「twitter疲れ」と呼ばれる現象です。ルール作りの基本理念から外れた独善的な自治ファシズムによってルールまがいのものが生み出され、それによって苦しめられた人たちがmixitwitterに疲れ、その場から去っていく。これは一番避けなければいけないと思います。(足あと付けたら強制的にコメント、って言ってる奴とか本気でキチガイなんちゃうかと思います)

 最初に僕は「みんなが自由で楽しく活発にウェブ上のサービスを使ってお互いの理解を深めることを促進させたい」と書きました。その為に、守った方が「より使いやすく、便利なものに」なるよ、というルールがあって、それをしかるべき人間(twitter運営サイドであったりmixiコミュ管理人であったり)が制定していく必要がある。ただしそのルールを、自治ファシズムによって、ルール作りの権限の無い人間が作っていこうとした場合、発言者は萎縮していき、人が離れていきます。それは嫌じゃないですか。だから僕はそういう意思表示の意味でも、これからも多分、twit2mixiを使い続けると思います。

 ここから蛇足。

 mixitwitterにはもう一つ大きな違いがあります。「関係の断ちにくさ」です。twitterは他人のつぶやきを読むのに相手側の承認が要りません。その気軽さがあるから、フォローしてみたものの面白くなかったな、という場合に気軽にフォローを外すことができます。一方でmixiは、マイミクになるのに承認が必要になります。だから気軽にマイミクを外すことが難しい。僕はBさんに「ボイスを読みたくなければマイミクを外せばいい」と言いました。でもそれが言うほど簡単なことではないことは分かってるつもりです。加えてBさんは、自分からマイミクを外すことをしないということを美学として持ってらっしゃるようなので、それがマイミクを外しにくくすることに拍車をかけてしまっているようです。これに関しては、意図しないボイスを強制的に読ませてしまうことがBさんの苦痛になるのは僕としても心苦しいので、近々僕の方から外させてもらおうと思ってます。

つまらなくするのは誰か

 2006年にPRIDEがフジテレビでの放映を打ち切られてピンチに陥った際にそれを救ったのがドワンゴ、という関係でニコニコ動画イベントでの煽りVを佐藤大輔×立木文彦の名タッグが請け負っていたらしい。ニコ動とか見んから知らんかった。
http://ascii.jp/elem/000/000/509/509085/

 で、それ関連のインタビュー記事で佐藤氏が面白いことを言ってた。以下引用。

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 僕はテレビ業界にもいて、その他の仕事もしている人間なので、両方の視点を持っていると思うんですが、僕はテレビをつまらなくしているのは、もしかしたら視聴者じゃないかと思うんですよ。

 あんなに苦情だ何だって殺到したら、萎縮して面白いものが作れませんよ。だから視聴者やネットユーザーが自分で自分たちの首を絞めている面もあると思う。「コレやっちゃいけない」「アレやっちゃいけない」と、企画を考える人は最初からあきらめますからね。「オッパイポロリ」がなくなるワケです。
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引用終わり。うん。概ね賛成。作り手の萎縮は否めない。でもちょっと異論。

 色んな意味でいわゆる「炎上」って関心を引くから、一概にマイナスばっかだとは思えんのですよ。行き過ぎた規制を逆手に取っためちゃイケの例もあるし(ちなみに佐藤氏もめちゃイケは好きだと言ってる)。高評価の対義語は低評価ではなくて無関心だと思うんす。と、ここまで考えて、こないだのトークイベント「石倉・カブキ・泉州のあぶない話」でカブキキッド選手が言ってたことを思い出した。「プロレスファンはネットでプロレスを叩きすぎ」と。

 曰く、プロレスというソフトはファンの批判に耐えうるほどの力をもはや持ってはいないのだ、と。ファンが面白いと言わないものを、ファンじゃない人は観にいこうとするだろうか、と。その時も僕は言いました。敵はむしろ無関心層であって、批判も味方につけるようなプロモーションが今のプロレス業界には求められてる、と。この論議、まだキチッとした結論には至ってないです。でも非常に面白い題材だと思います。

 まぁあれです。高杉晋作も詠んだように、面白くないことから面白いことを見出す才能が真のクリエイティブとしてこれからは重宝されると思います。ちなみに彼の辞世の句はかのマッスル坂井氏の好きな言葉でもあります。なんと示唆的な。批判はバカでもできますからね。批判が恥ずかしいこととして広まっていってもそれはそれで面白いと思います。

 テレビとプロレス。両者が共に持つ問題点を洗い出したところで、テレビにプロレスに活躍中のあの方のイベントですよ。

闘道館PRESENTS!
アントニオ小猪木の小アで深イイ話6 in大阪』
・ 日時:2010年5月7日(金) 
・開場/午後8時30分・開演/午後9時
・会場/創作居酒屋 元祖 無法松 06-6213-7110
       大阪市中央区西心斎橋2-8-33大阪センタービルB1(味穂の地下です)
・料金/¥3000-(たこ焼き他&ワンドリンク付。 ドリンク追加別途¥500〜)
・出演/アントニオ小猪木
・MC/コマ@雪崩式
・ゲスト/X

 急遽決定の小猪木さんイベント。ちゃんと絡ませてもらうのは去年のクリスマス以来になりますか。ゲストのXは一体誰か!?僕も知らされてないんですが少なくともブルアーマーTAKUYA選手でないことだけは確かです。