雪崩式ブログ

雪崩式総裁・コマの日記です。

「死にたい」発言の軽さについて

 僕がよく覗いてるブログからの引用。
http://208209.tumblr.com/post/218904738

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「死にたい」は
他人の体力を吸い取って自分が元気になるための呪文
この言葉を聞かされる側は、聞けば聞くほど衰弱する

やたら死にたい死にたい言う奴は、そういう妖怪なのだと割り切って
できるだけ早めに遠ざかる方がいい
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 死にたい発言をする人や、あとリストカットみたく物理的な自傷に走る人も含めて、そういったアピールに対して僕ら「ノーマル」な人間がどう対応するか、どういう対応が望まれているか、というのは非常に繊細な問題だと思います。で、この「早めに遠ざかる」というのはたぶん一番やっちゃいけない対応だと思うんですが、逆にそう思わせてしまう原因って何だろう、と最近しばしば思います。

 ここでは何度か話に出てますが、僕には自殺で自ら命を絶った友人が3人います。あ、この数年でまた1人増えました。この4人に共通して言えることは、本気で死のうと思ってる人はそんなことおくびにも出さずにひっそりと死んでいく、ということです。つまり「死にたい」という呪文は「実際は死なない」というアピールでもある。生きてるよ、だから気付いてよ、の証とも言える。そこを我々がミスリードして、「死ぬ死ぬ言うから本気で心配したったらなんや、死なへんのかいな、やってられんわ」と捉えてしまうとみるみるこっちが衰弱し、結果、そういう妖怪を忌み嫌う結果になる。

 だから「死にたい」アピールを衰弱の呪文ととるか生への欲望ととるかで対応は全く変わってきますし、そのサインを正しく読み取ることが回り回って自分の利益に繋がる(とまではいかなくても少なくとも不利益には繋がらない)んだろうと思います。

 え?僕ですか?僕は「死にたい」と言われようが「生きたい」と言われようが「勝手にせえ」でしまいですよ。そんなもん、わざわざ他人に言うこっちゃないですよ。こちとら自分の食い扶持だけで精一杯やっちゅうねん。そんなことわざわざ言うてくる奴とは関わらんことですよ。


 (「結局遠ざかってるがな!」と突っ込んで下さい。そうすれば緞帳が下がります)