雪崩式ブログ

雪崩式総裁・コマの日記です。

twit2mixi の是非論

 まず最初に。僕がこれから書く文章の目的は、みんなが自由で楽しく活発にウェブ上のサービスを使ってお互いの理解を深めることを促進させたい、ということです。できるだけそこからブレないようにします。

 事の発端は一昨日、twitter上での僕のつぶやきに対して「twitterの内容をそのままmixiボイスに転送するのは、そもそもtwittermixiボイスは使われ方が違うから他のマイミクにウザがられる」という旨のコメントが付いたことにあります。

 説明しますと、僕は現在、twitterのつぶやきをそのままmixiボイスに転送する「twit2mixi」というサービスを利用しています。僕の普段考えてることをマイミクさんにも読んでもらいたい、そしてそこでリアクションがあれば交流もしたい、という思いからです。ただ、twittermixiボイスには色々と違いがあります。中でも一番大きいのは、「twitterは自分がフォローした人のつぶやきだけを見ることができるのに対し、mixiボイスはマイミクであれば強制的に目に入ってしまう」ということです。

 僕のつぶやきにコメントを残された方(仮にBさんとします)も、そのことに言及されてました。それに関しては僕も同じ意見です。mixitwitterを上っ面だけ真似たことによる弊害だと思います。願わくばmixiボイスにも、ボイスを読みたい人と読みたくない人を選べる機能がついてほしいと思いますし、多分将来的に実装されるんではないかと思ってます。でも現状は実装されてない。だからユーザー側が工夫していかなければいけない。そういう忠告の意味でBさんはコメントされたんだと思います。

 ちょっと話は逸れますが、twitterにはmixiボイスに無い独自のお作法があります。串刺し検索ができるように#を使ってタグ(ハッシュタグと言います)を付けるとか、特定の人にコメントする際には@の後に相手のIDを付けたものをコメントに書き加えるとか。これらは多分全て、twitter草創期からある機能ではありません。twitterを「より使いやすく、便利なものに」したいという願いからユーザーによる試行錯誤の末に自然発生し、淘汰されて残ったものです。それが今ではtwitterの公式な機能として実装されています。この過程は、コミュニティにおけるルール作りの理想型だと思います。そして今でも、ユーザーによる試行錯誤は続いています。例えば他人のコメントを引用して自分がつぶやきたいとき、RTを使うのか、QTを使うのか、viaを使うのか、それとも""で括るのか(ちなみにiPhonetwitterクライアントは""を採用しています)。これもいつかは淘汰されるでしょうし、RTに関しては最近、引用ではなくて転載・紹介という形ではありますが公式ルールとして実装されました。

 で、こういうtwitterでしか使われないお作法に則って書かれたつぶやきには共通点があります。それは「@を含んでいる」ということです。twitterのフォロワーでしか理解出来ないような、例えば他人のつぶやきに対するリプライであったり、他人への個人的なメッセージであったり。それら全ては@を含んでいます。そしてtwit2mixiには「@を含むつぶやきは転送しない」というフィルタリングの機能が実装されてます。僕はこの設定をかけることで最低限、mixiボイスのユーザーに配慮しているつもりでした。でも、それだけでは足りなかったようで、今回のBさんのコメントに繋がりました。

 Bさんの主張はこんな感じです。twitterでは当たり前とされている1日3つ以上のつぶやきはmixiボイスでは一般的ではないからウザがられるよ、私の378人のマイミクの平均ボイス数は1日2回程度で半数は毎日ボイスしないのに対して、twitterの223人のフォロワーは1日3回以上つぶやいてるよ、と。僕はこれに対して(サンプル数の少なさやサンプルを採る場所が一個人のフォロワーに限定していることの問題点はさておき)、それはあくまで統計でしかないし、ウザがられるというのも偏った主観でしかないでしょ、と応えました。それに対しBさんは、主観ではなく調査結果だ、それを主観だと言う方がよほど主観だ、と反論し、その辺で何となく収束しました。

 流れ上、議論が「主観であるかどうか」にフォーカスしてしまったんですが、問題の本質はそこにないと僕は思ってます。もちろん統計や調査も意味が無い。問題は、「ルール作りの基本理念はどこにあるか」ということと、「ルールは誰が決めるか」ということです。

 ここで前述のtwitterの話に戻ります。ルール作りはそのサービスを「より使いやすく、便利なものに」するためにあるべきである、と僕は考えます。例えばBさんはかつて、mixiのコミュにおいてお作法を分かってない人が多すぎる、と嘆いていました。初めましての挨拶は「初めましてトピック」にまとめる。質問したいときはそのコミュで定められてるルールに則ってトピックを立てる。過去に同じような質問がなされているかどうかを調べてから、適切な場所に書き込む。そういうお作法を無視した独善的な書き込みが多くて困る、と。これには僕も同意します。なぜならこれらのルールは全て、そのコミュを「より使いやすく、便利なものに」するために作られたものであり、それがコミュの管理人によって作られた以上はその場では守るべきだと思うからです。

 しかし今回の「twittermixiボイスに転送するのはやめた方がいいよ」という忠告はどうかというと、確かにそれをすることで僕のつぶやきが減って僕のマイミクのタイムラインが読みやすくはなるんでしょうけども、それはあくまでこの問題に対する一側面でしかなくて、根本的な解決にはなっていない。それがまかり通るのであれば例えば、「プロレスの話ばっかりでお前のつぶやきは面白くないから、もっとグルメの話とかも書け」という主張も通ります。統計の話を持ち出すのであれば、例えばBさんは比較的長文のつぶやきをいつもされるんですが、「俺のマイミクは平均○○文字のつぶやきであるのに対してBさんは○○文字であるからそれは読む人に負担を与えるからもと短くして」と言うことだってできてしまいます。どちらも、ルール作りの「より使いやすく、便利なものに」という基本から外れるものであって、行きすぎるとそれはファシズムになります。

 僕が一番懸念している部分はそこです。こういった考え(仮に「自治ファシズム」と呼びます)が生み出すものは何か。それは、「mixi疲れ」であり「twitter疲れ」と呼ばれる現象です。ルール作りの基本理念から外れた独善的な自治ファシズムによってルールまがいのものが生み出され、それによって苦しめられた人たちがmixitwitterに疲れ、その場から去っていく。これは一番避けなければいけないと思います。(足あと付けたら強制的にコメント、って言ってる奴とか本気でキチガイなんちゃうかと思います)

 最初に僕は「みんなが自由で楽しく活発にウェブ上のサービスを使ってお互いの理解を深めることを促進させたい」と書きました。その為に、守った方が「より使いやすく、便利なものに」なるよ、というルールがあって、それをしかるべき人間(twitter運営サイドであったりmixiコミュ管理人であったり)が制定していく必要がある。ただしそのルールを、自治ファシズムによって、ルール作りの権限の無い人間が作っていこうとした場合、発言者は萎縮していき、人が離れていきます。それは嫌じゃないですか。だから僕はそういう意思表示の意味でも、これからも多分、twit2mixiを使い続けると思います。

 ここから蛇足。

 mixitwitterにはもう一つ大きな違いがあります。「関係の断ちにくさ」です。twitterは他人のつぶやきを読むのに相手側の承認が要りません。その気軽さがあるから、フォローしてみたものの面白くなかったな、という場合に気軽にフォローを外すことができます。一方でmixiは、マイミクになるのに承認が必要になります。だから気軽にマイミクを外すことが難しい。僕はBさんに「ボイスを読みたくなければマイミクを外せばいい」と言いました。でもそれが言うほど簡単なことではないことは分かってるつもりです。加えてBさんは、自分からマイミクを外すことをしないということを美学として持ってらっしゃるようなので、それがマイミクを外しにくくすることに拍車をかけてしまっているようです。これに関しては、意図しないボイスを強制的に読ませてしまうことがBさんの苦痛になるのは僕としても心苦しいので、近々僕の方から外させてもらおうと思ってます。