雪崩式ブログ

雪崩式総裁・コマの日記です。

プロレスの観方

 昨日はMWF(世界館)とドラディション(府立第二)のハシゴ。選手・関係者の皆様、お疲れ様でした。


 いつだったか、「アートをもっと身近に」という特集で組まれたテレビ番組で
「アート作品を鑑賞するときは『自分は実際に買うか、買ったらどう飾るか』を想像すると良い」
と言われていたのを見たことがあります。
 えてして、アートは自分とは無縁のものと考えがちです。生活必需品でもないし、敷居が高そうだし、そもそも理解できないし。
 でもそれを具体的に生活の中に落とし込んでみると、あの絵は赤が基調になってるからウチの白壁に合うかも、とか、この絵はタッチが荒々しすぎるからウチのリビングには合わないかも、とか、実際の生活により密接な存在になります。これは言い得て妙だなぁと膝を打った覚えがあります。

 僕はよくネットで見つけたかっこいいデザインをスクラップして保存してるんですが、それもやはり「自分のデザインにどう反映させるか」という目的によって現実とリンクするからです。音楽蒐集家の中にはきっと、サンプリングして自分の音楽作品に使ったり、BGMとして自分の映像作品に使ったりする人も多いんでしょう。男性の多くがエロ画像やエロ動画を収集するのも、オナニーという現実があるからです。

 人がその道にハマるのは、「現実といかに紐付けされているか」が重要だと思います。

 じゃあ、プロレスはどうか。プロレス技を覚えてプロレスごっこに活用したい。華麗なプロレス技を目の当たりにして驚嘆の声を上げたい。テレビで見た有名人を実際に見たい。かっこいい選手とお近づきになりたい。大声を出してストレスを発散したい。残酷ショーを見て鬱屈した精神を開放したい。下世話なソープオペラを見て笑ってストレス発散したい。連続ドラマの続きを知って友達と共有したい。知り合いがリングに上がってるのを応援したい。こんなもんでしょうか。
 音楽イベントとのコラボでプロレスが行われる場合は、音楽のグルーヴをさらに高揚させるという一面もあるでしょうし、ディナーショーとのコラボの場合は、料理がさらにおいしく感じられたりお酒が進んだりすることもあるんでしょう。

 最近プロレスを見ていて、この「紐付け」を見失ってしまうような感覚になることがよくあります。
 これは僕が業界に片足を突っ込んでしまったからなのかもしれませんし、長いことプロレスを見続けていることで麻痺しているのかもしれませんが、自分と無関係な試合の内容が記憶の上っ面を撫でて右から左へ通り抜けることがちょくちょくあるのは事実です。

 そんな僕の目を改めてプロレスに向けてくれたのが、ドラディションでした。いや正確に言うと、ドラディションのファンでした。

 ドラディションの会場は、久し振りに見た「昭和の新日」でした。何をしても沸きまくる。
 最初、単にお客さんがプロレス初心者で技を見慣れてないだけかなとも思いましたが、それにしては声の掛けどころを心得てたし、ブーイングなんかもチラホラ聞かれました(でもなぜか黒影選手とディアブロ選手には拍手が起こってた)。場外乱闘にも異様なくらいみんな怖がって悲鳴を上げます。きっとシンなんかが来ようもんなら、会場はパニック状態、おばあちゃんなんかは死に至るかもしれません。
 こういうファン達は、きっと「現実との紐付け」ができているんだと思います。単に声を出したい、だけでもいいと思います。それをすることで選手もノるし、選手がノればまた会場も沸く。その相乗効果が非常にうまくいってる印象でした。「目的意識のある観戦態度」とでも言うべきでしょうか。単に付き合いだけでチケット買わされたという感じは無かったですね。

 これを「藤波を始めとするレジェンド効果」と言ってしまえばそれまで。でもそれだけでは説明できない何かがあったような気がします。だって、はっきり言ってストーリーとか無いですよ。寄せ集めとまでは言いませんが、選手のラインナップに一本筋が通ってるというわけでもない。なのにこの沸きっぷり。

 ここで僕はとあるファンの声を思い出しました。「○○に出てる△△選手は、他の団体のときに比べて明らかに手を抜いてる」。その団体はオーナーの人格・人望に問題があったらしく、選手内でも評判は良くなかったそうです。プロレスラーはプロである以上、どこのリングに上がってもベストを尽くすと僕は思いますし、全ての選手がオーナーを見てレベルを下げるなんてことはしないと信じてますが、少なくとも一人のファンの目にはそう映った。これは事実です。

 そう考えると、ドラディションのファンがここまで熱狂できる理由は

しょっぱい試合をした選手は日本刀を持った佐山聡先生にうんこちびるほど怒られる
                     ↓
怒られるのが怖いからみんないい試合をする
                     ↓
観客は熱戦に沸き、大声を上げて楽しむという「現実との紐付け」ができる

という三段論法によって説明がつくという仮説を立てましたが怖くて石倉さんに確認できていません。